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執筆者の写真屋久島ガイドツアー公式

ウィルソン株のお社の再建が終わりました



昨年から約1年間、調査から許可申請、お社の製作の打ち合わせなど、長く取り組んできたウィルソン株のお社再建プロジェクトが、昨日7月7日無事に終える事が出来ました。


まず初めに、今回の再建プロジェクトにご協力いただいた環境省の皆さま、お社の製作に持てる力を出しっ切って製作頂いた工匠福島晃氏。また、当日入れ替え作業の協力いただいたガイドの皆さん、足元の悪い中神事を執り行って頂いた益救神社の大牟田氏、プロジェクトの為にご寄付頂いた皆様に、心より厚く御礼を申し上げます。


作業当日の朝は雷が鳴り、大雨が降る様な状況でしたが、日程の延期が難しい事と、午後から雨が止む予報を信じて、思い切って実行しました。




結果的にお昼前にはすっかり雨も止み、神事の際には日が差すほどの好天となりました。


今回はこのお社の歴史や、再建に至った経緯、再建への思いなどを、改めてお話しさせて頂きたい思います。


長文になると思いますが、ご一読頂ければ幸いです。


今回の入れ替え以前に据え置かれていたお社は、私の実父故藤山幸彦が数十年前に建立したものです。


左が新しいお社、右が父が建てた物

父は信仰心に厚く、特に屋久島の山々への信仰を強く持っていました。

山に一週間以上山籠もりをしたり、宮之浦岳山頂にある祠の前で全裸でお経をあげる修行も行っていたと聞きます。


父がまだ若いころ、当時のウィルソン株のお社が古くなっている様子を見て


「んにゃ!こいじゃやまんかみさまにわいかが!(これは山の神様に申し訳ない!)」


と思い立ち、すぐに当時の屋久島営林署の署長に相談、許可を得てお社の再建を行ったそうです。


父が再建する前のお社、建てられた時期は不明(屋久島歴史民俗資料館保管)

その時父が作ったお社は、なんと全体がトタン作りのハンドメイドで、とてもお社とは言えない様な物だったそうです。

営林署の署長そのお社を見せると「んにゃ、ま~ちっと良かとを作ってくれんかよ」と言われ、結果的に当時の武田産業(現武田館)様の協力を得て、お社を製作してもらったそうです。


その時のお社の入れ替えには営林署のトロッコも出動し、トロッコ終点からは皆で交代しながら背中に担いで運んだそうです。


それから時が流れる事数十年、父が建立してから30~40年の月日が経ち、当時のお社も背板や横板が崩れ、今にも崩壊してしまいそうなほどの状態となりました。

もっと早く再建に動けば良かったと私自身も反省をしていますが、「古い方が雰囲気があって良い」と言われたり、「神職でもないのに」などの様々な意見がある中で、やはり父が考えた「やまんかみさまにわいか(山の神様に悪い)」という思いを大切にしなければならないと考え、この再建プロジェクトに踏み切りました。


今回の再建プロジェクトを行うにあたって、私も父の様にいくつかの想いを持っています。


一つ目は「父も含めた先人達の信仰や思い、歴史を途絶えさせない事」


正直に言うと私にも父の様な厚い信仰心があるかというと、そんな事はありません。

あまりにも信仰に厚い(熱い?)父の様子を幼少の頃から見たり、押し付けられたりして来たせいか、逆に「信仰」という言葉から離れる様な傾向もありました。


しかし、それを置いておいたとしても、先人達が残してきたものを私達の世代で途切れさせてはいけない、私達が次の世代に繋がなければならないと考えました。



二つ目は私達「ガイドの仕事への想い」です。


屋久島はガイドツアーの人気が非常に高く、私や私の会社、スタッフそしてその家族など多くの人々がこの仕事で生計を立てています。


いわば「ガイド産業」という世界で生活している事になります。


あらゆる産業で起こりうる事ですが、この産業がビジネスに偏り過ぎる事に、私は大きな不安を持っています。

何故なら産業は流行り廃れの中で、歴史に残らず消えていく物も少なくなく、観光という仕事はまさにその流行り廃れの代表産業だからです。


私はこのウィルソン株の再建をガイドの仲間たちで行う事で、「ガイド産業」を「ガイド文化」へと昇華するきっかけにしたいと考えました。


屋久島には屋久島公認ガイドという資格制度が屋久島にはあります。

この資格を得る為には屋久島学試験というテストをクリアする必要があり、この試験の教本に屋久島学テキストという書籍が使われています。

書籍の中には屋久島の動植物や地質、歴史など多岐に渡る分野が掲載されており、まさしく屋久島学と呼ぶにふさわしい書籍です。


例えばこのテキストの中に今回のお社再建の記録が掲載されればどうでしょうか。

例えば、屋久島の郷土史に今回の記録が残ればどうでしょう。


間違いなく私達が昨日行った事が歴史に残る事になります。


そしてこの歴史が、これから20年、30年、50年先まで語られる様になれば、私達の仕事はビジネスではなく、歴史や文化の継承へと昇華していくはずです。



最後は私の息子です。


これは私事で大変恐縮な話なのですが、現在私には中学校1年生の息子がいます。


小学生の頃から将来の夢はガイドになる事。

今でもその気持ちに変化は無く、中学校の理科のテストだけは好成績です(笑)


息子に限らず、これから先ガイドになる世代達に今の私達が何を残すことが出来るのか。

私達の世代でガイド産業を食い尽くし、子供達の時代にはその仕事が無くなってしまう、果たしてそれが許されるのか。


責任世代と良く言われますが、現在の現役世代が後代に仕事や環境を残し続けて行く事は私達の重要な責任です。

私達の世代が山や自然への想いを情緒を持って語る事が出来なくなれば、将来はAIやコンピューターが無機質に語る時代に変わっていく事でしょう。


ガイド仕事は「人」によってその価値が生まれます。人が語る事がガイド産業の価値として残り続ける為には、物や歴史を私達が残す事、そして同時にそれを引き継ぐ環境を作る事が大切だと考えています。


ここまで書いた三つの考えは、最初に書いた後代に認められる、引き継いでいきたいと思われる「先人」になる為、私達が今まさに行動すべきであるという事に帰結します。


息子と二人で

これらはあくまでも発起人としての個人的な考えや想いですが、私にとって一年間固め続けた決意でもあります。



大河ドラマでは鎌倉殿が盛り上がっていますが、鎌倉時代にも


「神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う」


という言葉が残されています。


これからもこのお社を守り続けながら、今の想いを忘れずに、山々の神々に敬意を抱きながら、引き続きお客様に屋久島の自然や文化、歴史伝を続けたいと思います。


また、実は私の中では次のプロジェクトがもう始まっていたりもします。


今回、私達は50年残る物を作りました、次はこれを50年先まで語り継いでいく人材を育てる「人材育成」と「育成環境の整備」です。

私(40歳)から50年後はちょっと現実的ではないので、20年先も語り続けてくれる人材を育成していきたいと思います。


長文となりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。


これからも精進して参りますので、これからもご指導、ご鞭撻、また応援のほどをよろしくお願いいたします。


2022年7月8日

屋久島公認ガイド

藤山 幸赳


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